芸術の言語化

行政解釈の取り方②はまた後日投稿致します。

 

というか、まずはこのブログをもっと認知させなければ法律知識の提供をしていることになりませんね・・・・まずい・・・・これはまずい・・・

 

ブログマーケティングは置いておいて、今日は芸術の言語化について記述したいと思います。

 

アートの言語化は重要です。アートの価値が重要であればあるほど、その価値に対する感性は磨かれなければなりませんしそれは言語化できるほどに磨かれなければならないと思います。

そして、何より価値の伝達は重要になります。

伝達手段としての言語化が重要になります。

価値の伝達は伝達者がその価値を他者に対し説明し得る程に言語化していなければ難しいでしょう(他のテクノロジーを使えば可能かもしれませんが)

 

アートは人類の叡智から絞り出された渾身の一滴です。

つまり

アートを「既存の人類・物質(世界観や感情・思想を含む)を一旦分解し、人類・物質の均一性からを認識した上で、人類・物質の多様性に着目し、人類・物質を再構成して、既存にはないものを作り出す」

という文脈で定義するのであれば、それは潤沢な知識・物質に対する鋭い考察・歴史的コンテクストへの深い理解がなければ作り得ません。

余人に変えがたい価値の表現がそこにはあると思います。

アートの価値を言語化するのに人工知能が達するのにはまだ時間がかかると思います。達し得ても、それが心に刺さるかどうかもわかりません。

(小中教育ではアートの言語化という必修科目を作って、国語、社会、体育(水泳は除く)、道徳は削るべきと思うのです。)

 

前置きが長くなってしまいました。

次の記事では、芸術と哲学の関係に述べられた論文を紹介したいと思います(自分での芸術の言語化は・・・もうちょっと待って下さい(伏せ目))

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