掃除
久しぶりの投稿になります。
次は西欧美術、侘び寂び及び宗教の関係から、日本の美術について記事を書きたいです(願望)。法律は・・・まあ民法改正の内容の案内ぐらいは書きたいかなぁ・・
で、今日は掃除について
で、このブログの記事が凄い僕の理解の助けになりました。
※前提として、配置は意図的、放置は意図なし、置くは意図性について考えずに記述しています。
①余分を置く
不要な物が置かれると、空間デザインの不統一性を生み、
一般的には受け入れられないものとされます。つまり余分を削ぎ落としていない。
もちろん、それが美しいとされるものは多くあり、余分なものから感じる美意識・思想もあると思います。
ただ、それは、余分を置く行為に一定の思想・美術観に裏付けられたものに限ると思います。
不要なものを、無意識に置いたものには、何も感じることができず無関心となるでしょう。
②実用性・便利性
そして何より、家・オフィスに配置されるものについては、主に実用性・便利性(どこにあると便利か)に着目して配置されるものでしょう
(注意点として、「配置」についてアート面より実用性・便利性を重要視するという意味です。つまり、家具のアートな面を軽視しているというような意味ではありません。
家具にはこだわりある人の方が多いでしょう)。
ビジネスではタイムコストの点では当然便利な配置を選ぶのは当然ですし、家でも忙しい現代人としては同様でしょう。
このような考え方からすれば、家(オフィスはもういいやw)中のモノの配置は、使用の頻度からすぐ手に届く(例えば家事をするときに用品は手に取る順番で配置されている)など、実用性・便利性に着目して行われます。
③結論
①において不要なものについては無関心
②において家にあるもの配置は実用性・便利性に着目される
この2点からすれば、不要なものは、無関心で、実用性・便利性がない故に、部屋に無造作に放置されます。
したがって、不要なものが多ければ多いほど、部屋は散らかりやすい。
以上、論証終わり。
掃除は、不要なものを、見極めるだけですぐ終わるかもしれませんな!(伏せ目