哲学と芸術の限界とその〈外〉

美術の言語化の重要性については前の記事で書きました。

 

今回はその美術と哲学の関係性について言及している論文を題材にして、美術の言語化及び哲学の感情性についての理解を深化してみようと思います。

 

論文は

〈外〉への共振 ―― 哲学と芸術の限界とその〈外〉 藤井雅実

 

http://cs-lab.zokei.ac.jp/labtu/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E6%9B%B8%E7%B1%8Dsearch-destroy/

の中にあります。

 

著者の藤井さんから許可を得て掲載させて頂いております。

 

結論から述べますと、この論文の視点は私に新しい視点をくれましたし、内容にも賛同です。

 

ただ、商業的に作られたものではなくゼミのために向けられたというものとのことでしたので、editorがほぼ確実に入っていない。

 

そのせいか、かなり構成が読みにくくなっていますので、内容は「筋」で読むしかないと思います。

全ての記述の意味を理解しようとして内容をつかもうとすると確実に完読できません。

著者も作為的に言語体型の不統一や意味不明瞭の言葉を連続で使っている節がありますので、「筋」を掴めばいいと思います。

商業的・学会向けに作成されたものでないならば、論文の形式的なところに着目することに意味はありません。

「筋」を読めれば十分です。(なので最後まで読めていません(小声)追記:4月27日に本論文を後ろから全部読んで見ましたが、やっぱり筋しか見えません・・・脳にインストールされた知識が桁違いだからこそ、筋を見るしかないのだなとも思いました)

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僕の理解によれば本論文の「筋」は、

「芸術も哲学も日常にある、そして両者は区別が難しいほどに近似性が認められる」です。

 

芸術と哲学が語られる文脈で、「脱日常的」という言葉が本論文では多用されますが、これは両者が日常にあるという本論を際立たせるために使われているのだと思います。

 

僕は哲学も芸術も日常にないと価値ある人生をおくることが難しいと考えていたので、そういう「筋」がすぐに見えた気がします(もちろん僕の「筋」が当を得ていない可能性もありますが、本は読み手が全てと考えていますので、それはそれでいいのです笑)。

 

芸術や哲学がなぜ非日常的と捉えられるのか。

それは、両者が「道」として捉えられているでしょう。

古い古い昔からカテゴリーとして確立し、偉人を輩出した両分野は、尊敬には値するが、それを語り得るためにはタイムコストの高い(時間をかけて勉強しなければならない)もの、つまり「道」と捉えられているからでしょう。

現代人はみんな忙しいですから、タイムコストの高いものは遠ざけたいのは当然です。

スマホソーシャルゲームのような身近な遊びもありますし、なおさらでしょう。

 

ただ、私は芸術や哲学は「道」であるとは思いません。

「道」は茶道・弓道・柔道のように、ある一定の美徳に裏打ちされた 方式 を 長い年月をかけて守り続けていく ことによって確立される芸術または哲学の一分類と考えています。

 

つまり、「道」は芸術や哲学の中に包摂されるもので、タイムコストの高いものをさす という理解です(なお、タイムコストの高いことはそれだけ習得が難しいという点で尊敬されるべき、という文脈で使っています)。

 

芸術や哲学はそのような一定の方式はありません。

服・絵・家具や思想に方式はありません。

両者は「道」より広い概念です。

 

そして、それらは日常にあるものです。

 ある人の服や家を見れば、その人の芸術感を看て取れます。自分の美しいと思うものを選んだのですから。

 また、それ自分の価値観に基づいて選んだものでもあります。

 価値観は、人によっては言語化が難しいかもしれないにしても、哲学と言われるものと一緒です。哲学もどこに価値を置くかという思想に過ぎないからです。 

 

 上記のような考え方からすれば、芸術と哲学は日常にあるというだけでなく、その区別も難しいでしょう。感性よりが芸術、言語よりが哲学ということぐらいでしょうか。

 

 ただ、哲学もその根源は人の感情・感性にありますから芸術と同様と言えますし、一方で、芸術も歴史的コンテクストや作者の思想が反映されている点で言語化が可能であるので哲学と同様でしょう。

 

以上のような、「芸術も哲学も日常にある、そして両者は区別が難しいほどに近似性がある」という「筋」を本論文によって読み取りました。

 

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僕は言語処理優位、処理速度(アウトプット)劣位の人間らしいので記事を書くのはなかなかアウトプットの練習にいいかもしれません。

藤井さんの論文は「筋」が見えればはっきり行って細部を拾う必要はないです(まあどの本でも一緒だと思いますが、この論文は細部を拾わせない仕様になっているので)

 

次はまた、法律の記事を書きます。 てかブログマーケどうするかなぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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