今流行りのコンプライアンスについて
郷原先生の「コンプライアンが日本を滅ぼす」に、まさに企業法務が直面する実態と成文法との乖離が記述されています。
コンプライアンスは「法令遵守」と簡単な言葉で訳せるものではないのです。
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法律の背後には必ず社会的要請があります。それを実現するための法令を実現すれば本来は社会的要請に応えることになるはずです。
それは個人(法人は個人の擬制化)の常識に従うということでもあります。
しかし現在では「ズレ」が生じている。
これは社会的要請を考えることなく法令を遵守すべきという単純な考え方で対応しているために生じる弊害です。
官庁が定める法令運用が経済社会の実態に対応しているかどうかが経済活動をコントロールする手段としての行政指導の質を担保するために必要なものですが、大蔵省事件(1998年)により官民が分離、つまり国家公務員法倫理法が制定され官僚が民間の経済的な動きの情報を獲得する手段が消えてしまいました
そして日本はアメリカのように官と民の流動性がないため官僚は抽象的理屈に固執します。経済法令などをそのまま外国から導入している日本においては法令のコンテクストが十分に認識されていないため、官民の一体性は不可欠です。
しかし、官僚は自らが国家公務員法倫理規定を遵守することの代わりに民間に対しては法令の遵守の徹底を求めるようになりました。
本来、コンプライアンスの適切や翻訳は「組織が社会的要請に適応すること」です。
この社会的要請に適応することで初めてその法人の存在が許されるのです。
なぜならばその社会的要請は個人の常識に基づくものであるからであるからです。
明治期近代国家のための富国強兵制度の一環として民法刑法商法はヨーロッパから輸入された経済法令については第二次世界対戦後に独禁法証券取引法などにおいてアメリカから輸入されました。
日本の法律は欧米のように市民社会の中で形成されそれが成熟した法令に高まったというものではないのです。
国民が知らず知らずのうちに外国からの輸入などによって空から降ってきたというものであります。
従って市民は普段は法令に無関心であるのは当然とも言えます。
米国は判例法です。これによって社会的要請を汲み上げ、また懲罰的損害賠償があり社会的要請に反するものについては徹底的に抑制しようという司法制度を持っています。
対して日本は成文法であり改正が困難である化石化した100年以上前の法律もあります。まだペナルティの程度が法人への罰金上限額7億円と非常に軽い。
経済法令はそれぞれ密接に関連し合っています。
そして、コンプライアンス違反のほとんどが密接に関連し合う法令分野の中で生じています。
コンプライアンス違反を根本的に解決するのであればその主となった法律だけではなく関連法の社会的要請を視野に入れなければなリマセン。
すなわち企業に関する法全体を体系化して面で捉える必要があるのです。
法令と実態とが解離しやすい日本で必要なのがひとつの組織だけで社会的要請に応えようとしても困難な事情つまり組織が活動する環境自体に問題がある場合にそのような環境を改めて行くことが大事です。つまり従来のの短絡的な法令遵守の徹底とは異なる社会的要請への適応=コンプライアンスという考え方が社会に浸透していくことが必要です。
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